ルカによる福音書5章12〜26節
2011年2月26日(降誕節第10主日)
私は新潟県でも豪雪地帯の十日町市外の渓谷沿いの村で生まれ育てられました。小学校から歩いて30分ほどの所に谷川沿いの堤防があって、堤防と田んぼの間に長く続いている雑木林の中に一軒の小さな家のような隔離病棟(かくりびょうとう)がありました。
今にして思えば、私の郷里は無医村であり、その建物は1807年(明治30年)に制定された伝染予防法に従って伝染する病気にかかった人が家から出て隔離される建物だったのです。魚釣りをする時にそこに近づくと何か怖い感じがして、胸がドキドキして、あそこに入れられた人には食べ物や薬などはどのようにして手渡されたのか、出張してくる医師はいたのか、家族と引き離されながら亡くなっていったのか、あの建物はいつごろから放置されるようになったのか、私には今も正確なことは分かっていません。
しかし、家族や村の人々からも疎外され、孤独で悲惨な生活を強いられ、そこで死を迎えた人々がいたことは確かであったと思われます。
ルカ5章12〜16節に登場する重い皮膚病を患っている人も病のゆえに言葉には言い尽くせない重荷を背負っていた人であります。私が今、手許に持っている聖書は1994年版の新共同訳ですが、重い皮膚病はまだ、「らい病」と訳されています。この翻訳が不適切であることは2002年の2月に日本聖書協会で認められ、2002年の6月以降から印刷される新共同訳聖書では「重い皮膚病」という訳に変えられてきました。
「らい病」は1952年、アメリカで「らい」の菌を発見したノルウエ-の医師、アルマウェル・ハンセン氏の名前をとって「ハンセン病」と言い換えられてきましたが「ハンセン病」=「らい病」でもありません。いのちのことば社から出されている『新改約聖書』では「ツァ-ラ-ト」というヘブル語の言葉がそのまま用いられていますが、この言葉は多様な皮膚病を包含している言葉として使われています。
ルカ5章12節以下に記されている「重い皮膚病」のことはレビ記13章、14章に詳細に記されている規定との関係によって書かれてある出来事です。レビ記に書かれてある皮膚病もかつて言い表されてきた「らい病」に限定されてはいません。それぞれの皮膚病に応じて社会生活が他の人々と出来るかどうかを祭司に見せて判定してもらう規定が記されています。
ルカ福音書の場合、5章3節には、「全身重い皮膚病にかかった人がいた」とあります。この場合レビ記によると病状が極度に進行し、もはや回復不可能な状態であると診断されるとその人は、レビ記13章45節以下にあるように、他の人々と共に住むことは出来なくなります。
そして衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、外に出て、誰も近づいてくる人がないように、「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と叫びながら野外で生活をしなければなりませんでした。それは、誠に孤独と悲惨な日常生活にさらされ、絶望的な生活に陥らざるを得ない人生にお追い込まれることでした。
しかし13節後半にあるように、彼は通りかかったイエスを見て、イエスに近づき、イエスの前にひれ伏して、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と願い出ました。 そのとき、「イエスは手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち重い皮膚病は去った」と書き止められてあります。
ルカ福音書では、第4章でイエスが荒れ野で悪魔の誘惑をお受けになり、神のみ言葉によって悪魔を退けられ、父なる神から与えられる霊の力に満たされて、ガリラヤ地方をまわり、安息日には会堂に入って聖書を朗読し、神のみ言葉を人々に語って教え、また、多くの病人を癒されたたことが書かれ、人々の間に、イエスの力に満ちた教えと、愛に満ちた癒しの業が次第に広がっていったことが書かれてあります。
イエスはその流れの中で、第5章の初めにあるように、ガリラヤ湖畔でシモン・ペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネなどの漁師たちを弟子として召されました。そして弟子たちを伴い、ガリラヤの町々村々を巡り歩き、会堂に出入りしながら神から遣わされた救い主としての働きを進めていかれました。
5章17節以下に、エルサレムの方からやってきたファリサイ派の人々と律法学者たちが登場してきますが、彼らは律法に加えてその解釈規定を細かく作り、それを厳守するように民衆を指導していました。
彼らはイエスが多くの病人を癒し、重い皮膚病の人を癒して、彼が清められたことを宣言したり、中風の人を癒して、彼に罪の許しを告げられたこと、多くの群集がイエスの周りに集まって来たことなどに対して監視の目を光らせ、反感をつのらせて行きました。
このような背景からイエスが重い皮膚病にかかった人を癒されたこの出来事には、重い皮膚病の癒しと社会復帰を切実に求めていた人と、イエスご自身とが、律法主義に立つ権威を振りかざし、やがてはイエスを十字架の死へと追いやるまでに反感を増幅させていったファリサイ派と律法学者たちの傲慢と愛に欠ける罪深さを浮き彫りにさせた出来事がともなっていたことを私たちは知らされます。
重い皮膚病にかかった人は、5章12節bにあるようにイエスを見て、ひれ伏し、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることが出来ます」と願いました。ここには当時ユダヤ人たちをがんじがらめに拘束していた律法厳守ということを打ち破って人前に叫びながら出てきたほどに救いを求めた人の切実な姿が写し出されています。「御心ならば」という言葉には、あなたが「そのことを望み、意志を働かせるならば」という意味も込められています。
「私の願いは切実なものです」。しかし、どう対処してくださるかは、あなたご自身の御心によります」という謙虚な姿勢がはっきりと表明されています。それに対して、イエスは手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい、清くなれ」と言われて即座に重い病を癒し、彼の穢れを取り除かれました。イエスは、律法やその解釈規定よりも自分たちの立場や権威主義に凝り固まっているファリサイ派や律法学者たちの傲慢な壁を打ち破って、神の愛、神による救いのみ業を発動されたのです。
この出来事を通して、私たちはイエスの振る舞いに、イスラエルの民がエジプトで奴隷の苦しみにさらされている状況を、つぶさに見、彼らの叫び声を聞き、その痛みを知り、彼らの許へ、モ-セを召して降って行かれた神の御姿を示されるのではないでしょうか。
ルカ5章における重い皮膚病の人の解放と17節以下にある中風の人の癒しとは、イエスの十字架の死と復活によって、すべての人を罪と死の支配から開放する神の救いの御業の出来事を前途に指し示している出来事だったのではないかと思われます。
14節以下を見ると、イエスは重い皮膚病から開放された人に、「だれにも話してはいけない。ただ、行って祭司に体を見せ、モ-セが定めたとおりに清めのささげ物をし、人々に証明しなさい。」と言われました。彼の救いはゆがめられた律法主義的支配からの開放でありましたが、イエスのこの言葉は、彼にとって神への感謝、喜び、礼拝をささげる生活が当時のユダヤ教との入り組んだ社会の中で成り立っていくための温かい配慮をなさった言葉であると思います。
さらに15〜16節では、イエスはこの出来事が何かのご利益などを求め、それ自体を目的として群集が群がってくることがないようにと、人里離れた所に退いて祈られました。それはイエスによってなされる御業がご自身の名声や力量のゆえでなくただ神の霊の御力によってなされる神の救いの御業となるためでした。
5章17節〜26節も合わせて拝読していただきました。取り上げる範囲が少し長くなりますが、出来るだけポイントをしぼって主のみ言葉を聴きたいと思います。
ファリサイ派の人々については先ほどもふれましたが、復活を信じないサドカイ人と対立していたユダヤの有力な党派で、絶大な力を持ち、徹底的な律法厳守を誇りとし、一般大衆と自分たちを区別し、多くの律法学者を生み出していました。律法学者もファリサイ派の人も、律法の厳密な遵守によって自分たちを神に認められる正しい者と主張し、ただ信仰によってのみよしとされるイエスの福音とも対立していました。5章17節に、「ある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに坐っていた」と書かれてありますが、この人々は日ごとに民衆の間に人気が広がっていくイエスに憎しみを抱き、イエスの言動を監視しようとしていたのです。
数人の男たちが中風を患っている人を寝床にのせて運んできました。しかし、その家は群集に取り囲まれ、阻まれていて中に入れない。19節にはどうしようもなくて男たちは屋根に上って瓦(かわら)をはがし、穴を開け、人々の真ん中におられるイエスの前に床ごとつり降ろしました。ユダヤ人が住んでいた家の屋上は、梁(はり)と梁の間に潅木(かんぼく)を並べ、白泥土で固めてあったので穴をあけることが出来ました。
そのときイエスは、その人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と告げ、最後に中風の人に、「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われました。その人はすぐに皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。人々は皆大変驚き、神を賛美し始め、そして恐れに打たれて、「今日は驚くべきことを見た」と言ったと、この出来事は劇的に書かれてあります。
長年、中風を患い、家に閉じこもっていたであろうひとりの友人を床に乗せて運び、幾重にも人垣に囲まれて中に入ることが出来ない状態であったのに彼らはあきらめて引き返さなかった。しかも屋上に上り、屋根に穴を開けて病める友人をイエスの前に吊り降ろすという非常識にさえ思われることをやってのけました。
イエスは彼らのそのような行動に友人に対する彼らの愛と、神による救いを信じてやまなかった彼らの信仰を認めて彼を癒し、罪の許しを告げました。
イエスが受け入れられたのは、この友人たちの信仰が、口語訳聖書で、ガラテヤ人への手紙5章6節にあるような「尊いのは愛によって働く信仰」であることをみてとられたからではないでしょうか。
イエスを神の子と信じないファリサイ派の人々と律法学者たちにとって、この中風の人の癒しと罪の赦しの宣言はイエスが神を冒涜したと批難し、イエスを十字架の死へと追いやる動機づけとなった出来事でした。
イエスはやがてその時がきた時、ファリサイ派の人たちや律法学者たちのように、自らの罪を覚えず、告白せず、神の赦しの愛をも受け入れようとしない人々のためにも十字架の死の苦しみの中で「父よ、彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23:34)と祈ってすべての人の救いをとりなされたことを私たちは覚えていたい。キリストの福音はすべての人への福音です。
私たちの教会の中長期の計画案がどのようにまとめられていくかまだ分かりませんが、「あらゆる方と共なる礼拝を目指して」と掲げられている主題は、いつの時代にも変ることのない重要な課題であリます。
去る22日の朝、99年5ヶ月の生涯、79年余の信仰生活をもって上田秋代さんが天に召されました。一男、一女、二女の三人には皆、5年の間に50代で先立たれました。危機的な大病も越えてこられました。神がどんなに秋代さんの嘆き、痛み、しかしその中からの賛美や祈り、み言葉を慕い求めた日々、ささげ、奉仕する日々を導かれたことかを深く覚えさせられます。
三人の孫たちも、祖母秋代さんに宿されたイエスへの信仰の影響を受けながら、この教会でバプテスマを受け、それぞれの教会で良い奉仕をしています。
その主イエスがあなたと共に、かけがえのない命を与えられている世のすべての人々と共にいてくださるのです。
私たちも与えられる人生の限りを尽くして、主のみ言葉に生かされて生きる日々を分かち合い、主イエスによる救いの福音を家族、友人、隣人に証し、伝えていきましょう。
〔祈り〕
父なる神、御許に召された姉妹をあなたの御手におゆだねし、ご家族の上に主イエスの御顧みがありますように祈ります。災害や騒乱の広がる中で、主の御名を呼び求める人々を救ってください。様々な闘いの渦中にある一人一人に主にある癒し、慰め、平安と希望が与えられますように。
新年度の歩みに備えていく教会が主の御心にかなう道を識別し、選び取っていくことができるように導いてください。御名によって、ア-メン