聖書を読む

聖書を多角的に読む試み

著者:jcunit1987

主にある交わり

使徒言行録2章に、復活の主イエス様によって約束されていた聖霊が降り、ペトロを中心として力を与えられた弟子たちが神の大いなる救いの御業を語り、3000人ほどの人々がイエスを救い主と信じてバプテスマを受けて教会に加えられ、エルサレムに最初の会が誕生したことが書かれています。

共に福音にあずかる

今日の聖書の個所は、このような「時」に当たって示唆に富む個所の一つであります。 フィリピの教会は、使徒パウロが獄中から書き送った短い手紙です。書かれた年代や場所については種々の説がありますが、エーゲ海の南東海岸に近い、現在で言えばトルコの西南部に当たるエフェソで紀元53~62年頃に書かれたのではないかと推定されています。

信仰によるバプテスマ

「バプテスマ」は全身を水に沈める形をとりますが、漢字では「洗礼」と言わずに「浸禮」と言います。バプテスト教会では、主イエスご自身がヨルダン川でバプテスマのヨハネからバプテスマを受けられたこと(マタイ3章、マルコ1章等)、主イエスが弟子たちに命じられた福音宣教のご命令の中で、すべての人を弟子とし、バプテスマを授けるように言われたこと(マルコ16:15-16、マタイ28:16以下)、初代教会では聖霊に満たされた人々からキリストの福音を聞いた多くの人々が、「イエスを救い主と信じてバプテスマを受けた」(使徒言行録2章、8章等)ことなどから、全身を水にしずめるバプテスマを、聖書的なあり方として受けとめてきました。  昨年12月23日のクリスマス礼拝の中で、小野瑛菜さんがバプテスマを授けられた姿を目の当たりにされた方々は、今日お読みしたローマ人への手紙6章8節に書かれてあるように、「キリストと共に死に、キリストと共に生きる」ということがまさにバプテスマ式によって象徴され証されたことをご覧になったのではないでしょうか。

思いを一つにして生きる

 ローマ人への手紙は紀元55―56年頃、使徒パウロが自分はまだ行ったことのないローマの教会の人々に、自分を紹介するために、また、1章16節に書かれてあるように、「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」とキリストの福音を伝えるために書いたものであります。  当時、ローマでは、ユダヤ人ではなく,異邦人のクリスチャン(ギリシャ人、小アジア、あるいは、地中海世界の人たち)と、ユダヤ人クリスチャンたちが一緒に礼拝をしていました。  しかし、ローマでは、律法を重んじるユダヤ人と、律法を無視する異邦人のクリスチャンの間に分裂や騒動が起こり、ローマ社会に混乱を引き起こす事態となったために、ローマ皇帝は全ユダヤ人にローマからの退去を命じました(使徒言行録18章1-4節)。

ただキリストの教会のために

今日の週報四面に、マルチン・ルーサー・キング牧師のことを紹介させていただきました。キング牧師は、伝道、牧会、教会形成に努めながら、主イエスが山上の教えの中で、「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5章14節)と教えられたことと、インドのガンジーの生涯にも深い感銘を受け、非暴力主義抵抗に徹してアメリカにおける人種差別撤廃運動に取り組むようになりました。

すべての人と共に

使徒言行録第2章で私たちは、主イエスによって約束されていた聖霊が、弟子たちと共に一団となって集まっていた120名の人々に降り、弟子たちが、多くの国の言葉で、イエス・キリストの福音を語り、特に弟子たちを代表して語ったペトロの説教を聞いて、その日の内に3000人ほどの人々が、罪を悔い改め、イエスを救い主と信じてバプテスマ受け、エルサレムに最初のキリスト教会が誕生しました。