信仰によるバプテスマ
「バプテスマ」は全身を水に沈める形をとりますが、漢字では「洗礼」と言わずに「浸禮」と言います。バプテスト教会では、主イエスご自身がヨルダン川でバプテスマのヨハネからバプテスマを受けられたこと(マタイ3章、マルコ1章等)、主イエスが弟子たちに命じられた福音宣教のご命令の中で、すべての人を弟子とし、バプテスマを授けるように言われたこと(マルコ16:15-16、マタイ28:16以下)、初代教会では聖霊に満たされた人々からキリストの福音を聞いた多くの人々が、「イエスを救い主と信じてバプテスマを受けた」(使徒言行録2章、8章等)ことなどから、全身を水にしずめるバプテスマを、聖書的なあり方として受けとめてきました。
昨年12月23日のクリスマス礼拝の中で、小野瑛菜さんがバプテスマを授けられた姿を目の当たりにされた方々は、今日お読みしたローマ人への手紙6章8節に書かれてあるように、「キリストと共に死に、キリストと共に生きる」ということがまさにバプテスマ式によって象徴され証されたことをご覧になったのではないでしょうか。